<地政学的リスクの高まりが経済動向に悪影響を与える可能性がある>8/7、ECBのドラギ総裁は政策会合後の記者会見で、今回のウクライナを巡る欧米とロシアの争いによって欧州経済が深刻な打撃を被る可能性について懸念を表明しました。

欧州の株式市場の変調ぶりは顕著

 冷戦終了後、かつてないほど関係が悪化してきた欧米とロシアですが、ここに来て双方の制裁合戦となり、その影響が実質的に経済環境に多大な影響をもたらしつつあるのです。はっきりと欧州の株式市場や債券市場に変化が現れ始めました。欧州の株式市場の変調ぶりは顕著です。7/3に10029ポイントをつけ史上最高値となったドイツのDAX株式指数ですが、8/8には9009ポイントとわずか1か月で1割も急落したのです。またドイツ国債が急騰しています、質への逃避ということで資金が国債に逃げているのです。何と指標となるドイツ国債10年物の金利は1%の大台を割れました。スイス、日本に次いで世界的にもまれな1%割れの仲間入りです、ついにドイツも異常な低金利状態に突入したのです。

 8/14に発表になった4-6月期のユーロ圏GDPの数字にも投資家は驚かされました。低成長ながら確実にリセッションから脱却したと思われていたユーロ圏経済ですが、何と4-6月期はゼロ成長に逆戻りです。更に投資家の懸念を大きくしたのはドイツ経済の急速な悪化でした。ユーロ圏GDPと同時に発表になったドイツの4-6月期のGDPは0.2%のマイナスに落ち込んでいたのです。ドイツ経済がマイナス成長に陥ったのは5四半期ぶりのことです。今までユーロ圏経済を牽引してきたのはドイツ経済です。ドイツの一人勝ちと言われ、輸出好調で生産も雇用も財政もあらゆる面で順調でユーロ圏を主導してきたドイツ経済に変調が訪れたわけですから一大事です。ドイツ経済はユーロ圏経済の3割を占めています、ドイツ経済が減速すればその影響力の大きさから直ちにユーロ圏全体の経済は急速に失速する可能性が高いのです。ロシアとの深刻な対立がユーロ圏経済全般、並びにドイツ経済に影響をもたらしたのは明らかですが、改めて経済指標の変化を見て今回の流れはただごとではないという観測が広がってきたのです。

 特に問題視されるのは、ロシアとの関係が更なる悪化となったのは7月だという事実です。マレーシア航空機撃墜によって欧米とロシアとの対立は決定的となりました。そして追加制裁が発動されたわけです。この具体的な影響が訪れるのはこれからということになるわけですが、その前段階の4-6月期の段階で既にユーロ圏経済の勢いが落ちてきているわけですから、今後は更にこの落ち方が加速するという懸念が広がっているのです。

 トムソンロイターの集計によると、欧州主要600社の4-6月期の1株利益の予想は7/1の段階の調査では17.7%増だったのに7/30には8.2%増と急減しているというのです。BNPパリバの金融不祥事の影響が大きかったという事情はありますが、しかし今後ロシアとの制裁合戦が本格化して影響が出てくることを考えると主要企業の更なる業績の下方修正もありうるでしょう。4-6月期の経済の落ち込みが予想以上となったのは明らかにロシアとの関係悪化による輸出減少が影響していることは疑いありません。ドイツの6月の製造業受注はここ3年で最大の落ち込みとなりました。輸出受注は前月比4.1%の減少となり減り方に勢いがついてきました。今までドイツ経済は好調と思われ、その先導役は輸出だったのですが、ロシアへの輸出は今後も減る続けることは必至です。

ロシアにおける販売の大幅減少が懸念

 既にドイツ国内での様々な具体的な苦境が伝えられてきました。大手スポーツメーカーのアディタスは7/31ロシアでの店舗閉鎖が響くとして業績を大幅に下方修正しましたが、これが報道されると株価は一気に10%以上の急落となりました。ドイツ経済の雄であるBMWやフォルクスワーゲン、ダイムラーベンツなど自動車産業もロシアにおける販売の大幅減少が懸念されています。

また更に厄介なのは金融機関への影響です。欧米企業の業績不振より更に深刻なのはロシア企業の先行きです。欧米による金融制裁が発動されたからです。これによって欧米の金融機関とロシア企業との関係の問題が生じてきます。具体的に言うと欧米金融機関のロシア企業への融資回収の問題が深刻化する恐れがあるのです。米国の旗振りで欧米の金融機関はロシア企業に対して資金調達ができないように金融制裁がなされてきます。今まで欧米の金融市場で資金調達を続けてきたロシアの資源会社をはじめとする大手企業はいきなり資金調達の手段を封じ込められたのです。

既にロシアの資源大手ロスチネフは巨額の債務を抱え、年末までに約1兆2000億円、ここ数年を見通すと約5兆円以上の資金調達が必要になるとみられていますが、一向に資金調達の目途が立たないわけです。ロスチネフはロシア政府に約4兆3000億円の資金支援を要請しました。こんな多額の資金を現在のロシア政府が用意できるとも思えません。そうなるとロスチネフの先行きはどうなるのか、という問題と共に、ロスチネフに貸し込んでいる欧米金融の問題に跳ね返りません。これはロシア大手企業全般を覆う問題でロスチネフの問題は氷山の一角にしか過ぎません。

 またこのような大企業だけの話でなく、ドイツの中小企業の多くはいきなりのロシアとの関係悪化で深刻な危機に陥っています。ドイツは輸出比率が高いわけですが、当然大手だけでなく中小企業も域内並びにロシアに対して巨額の輸出を行ってきたわけです。ドイツ経済も世界有数な花形企業が有名ですが、実は国内を見渡すと技術的な裾野が広く中小企業の活躍が目立っているのです。ドイツのGDPの半分以上、実にGDPの52%を中小企業が稼ぎ出しているのです。ドイツとロシアとの経済的な結びつきは強く、ドイツ製品は大小の企業を問わずロシアに大量に輸出されてきました。そのドイツのロシアへの輸出ですが4-5月は前年比17%の減少です。中小企業は顧客の数や販売地域が限定されています。当然ロシアとの取引の比率の大きいところは深刻な経営問題に発展しているのです。大企業であればロシア向けの輸出品を他の国に回すこともできるでしょうし、少々売上が落ちても経営危機に発展するまではいかないでしょう。しかし中小企業では得意分野が限られていますし、輸出先の代替を他地域に簡単に振りかえるというわけにはいきません。ロシア企業は金融的な制裁を受けていますので、取引の支障が出るのは当たり前の話であって、今までロシアが主力の輸出先だったドイツの中小企業は先行きの展望が全く見えない形になっています。

何故、ロシアはこうも強硬に出るのでしょうか?

 ロシアとドイツの関係も国と国との関係ですから、経済面だけを考えて今までの関係を継続するというわけにもいきません。今回のロシアの行ったクリミア併合、ウクライナへの実質的な介入という事実を鑑みれば、経済面だけを重視して政治的な面をおろそかにして、ロシアに制裁を行わないという選択肢はないでしょう。国と国との関係を考える場合、経済よりも政治的な動機が優先されることは当然のことです。となるとこれに巻き込まれたドイツの中小企業は現在の状態を甘んじて受け入れるしかないのです。

 では何故、ロシアはこうも強硬に出るのでしょうか? もちろん第一は自分達の庭で同じスラブ民族である、ロシアから見れば当然の影響下に置いていたウクライナに強引に西側が入り込んできたという憤りでしょう。

一方で強硬路線によってロシア側が被る経済的な打撃は少なくありません。ロシア企業は欧米側からの制裁で資金調達を止まられていますし、ロシアとしては西側の技術がなければ北極海などの資源開発もままなりません。またロシアは欧米による制裁の対抗措置として食料輸入の禁輸措置を発動しました。これはロシア国内の食料価格の高騰を招き、ただでさえインフレが加速してきたロシア経済に更なる食料インフレ高騰の可能性をもたらします。普通に考えて欧米側の打撃よりもGDPがわずか200兆円で経済体質がぜい弱なロシア側の打撃の方が大きいと思われます。おそらくそれでもロシア側は強気の姿勢を崩すことはないでしょう。

 タカ派のプーチン大統領の姿勢もあると思いますが、反面ロシア側の周到な計算もあると思います。欧米側は経済制裁を行っていますが、ロシアの1-6月期の輸出額をみると、前年比0.4%の減少でほとんどロシアからの輸出は経済制裁で影響を受けていないことがわかります。ロシアの主だった輸出は天然ガスをはじめとするエネルギーですが、欧州としてはこのエネルギーを制裁対象にするわけにはいきません。自分達が参ってしまいます。ロシアからのエネルギー依存度はリトアニア、ラトビア、エストニアのバルト3国とフィンランド、スウェーデンは100%です。ドイツはロシアにエネルギーの40%を依存しています。こうみると欧州側は必要不可欠なものをロシアに依存しているわけです。 

欧米の行った金融制裁は今後ロシア企業を窮地に追い込んでいく?

一方でロシアの1-6月の輸入額は前年比3.5%減となっています。ロシアの行った食料の禁輸は経済制裁としては効果的で欧州の農家に大打撃を与えているのです。このようにお互いに経済制裁とは言いながらエネルギー輸出が大半のロシアは影響を受けず、欧州側は弱い企業や零細な農家などが狙い撃ちされて多大な影響を被っているのがわかります。もちろん欧米の行った金融制裁は今後ロシア企業を窮地に追い込んでいくでしょうが、現在のところ輸出入の推移という観点からみると被害を被っているのは欧州側ということになります。

そして、ロシア側の持つ、このエネルギーという最も死活的な武器をロシア側は更に効果的に利用する可能性があると思われます。バルト3国や北欧諸国やドイツまでもさすがにエネルギーを止められては悲鳴を上げてロシアにひれ伏すしかありません。要は今回の制裁合戦ではロシア側は切り札を持っているわけです。このようなお互いが強硬に突っ張りあったときは、この切り札の存在が大きいとも言えます。

ではロシアはロシアの持つエネルギーという絶対的な武器を何処で使い、欧州側に揺さぶりをかけてくるでしょうか? おそらくそれは<冬>ということになるでしょう。昨今異常気象は世界的に夏は異常に暑く、反対に冬は異常に寒さが酷くなってきます。ロシアに近いウクライナやポーランドなどは冬には気温はマイナス20度に落ち込んでくるのです。狙いはこの時です、この時期にガス供給を止められては人々は寒さに震え生き抜くことができません。まさにエネルギー確保は死活的な命題となるのです。ロシアとしてはここでエネルギーという武器を使って欧州各地域の分断を試みればいいでしょう。ロシア側は欧州全域必ず悲鳴を上げ、ロシアとの妥協に走りだすに違いないと踏んでいることでしょう。ナポレオンを打ち負かしたのもナチスドイツを打ち負かしたのも冬の寒さでした。冬は歴史的にロシアを復権させる好機なのです。

今後もウクライナ情勢は容易に全面解決には至らないでしょう。欧州とロシアの制裁合戦は続き共々経済的な疲弊は拡大していくでしょう。今回のドイツの4-6月期経済成長率がマイナスになったというニュースは転換点になっている可能性があります。低成長ながら順調に回復してきたユーロ圏経済に暗雲が漂ってきたことは否定できません。ロシアの強硬な外交姿勢は今後も続くでしょう。ユーロもユーロ圏経済もそして地政学的リスクも先行きは見えません。