<失われた尊厳を取り戻すことが我々の優先課題だ>今年はじめギリシアの総選挙で歴史的な大勝した急進左派政党を引いた若きリーダー、チプラス氏は高々と勝利宣言しました。とにかく尊厳、プライドをギリシア国民に取り戻したいというのです。経済悪化で人々は疲弊していました。ここ5年間でGDPは25%減り、年金は減額、何よりも景気が全く上向きません。緊縮策に耐えながらも失業率は25%を超え、若者の失業率に至っては55%を超えると言われているのです。はけ口のない国民にとって、一番大事なことは希望を取り戻すこと、そして失いつつあったギリシア国民のプライド、まさにギリシア国民としての誇りを取り戻すことが先決だったのです。余りに長い不況と余りに膨大になった借金の重みでギリシアの経済政策は独自の手法を取ることを拒否され続けてきました。ユーロを導入したことにより通貨価値は安定してインフレは起こらなくなりましたが、反面ギリシア政府自体はマネーを印刷することもできないので通貨安政策を経済政策として使うこともできません。ユーロというドイツを中心とした強い通貨同盟の中で北部欧州諸国などと競争しながら切磋琢磨して経済を活性化させていかなければならなかったのです。しかし南欧の温暖な地で育ち、のんびりと生きてきたギリシアの人々にとって、生活方式を変えるようなドイツ風の規律だった生き方を受け入れることは大変な選択だったと思われます。ギリシア国民はドイツ人のようにはなれませんでした、競争に打ち勝つこともできずユーロ圏の落伍者となって資金を融資してもらいそれを続けてもらうしかありませんでした。

ドイツになれないギリシア

ギリシアには競争力のある産業や企業がほとんど見当たりません。ダイムラーベンツやBMWを作り出すことなどできないのです。また主だった輸出品もありません、エーゲ海という素晴らしい景観に恵まれた観光産業だけがギリシアの主要な収益源なのです。

 日本も地域によっては産業が弱い地域や経済発展から取り残される地域があります。東京は日本の中心地ですから人もカネも集まりますし、経済が活性化しているのも当然です。しかし日本には九州や北海道、沖縄もありますからたとえその地域が経済的に弱くても中央の日本政府が地方に補助金などの恩恵を与えることによって日本全体としてバランスを取っているわけです。国とはそういうものです。東京は税金も稼ぐし、活性化しているのだから東京で稼いだ資金を東京だけで使え、ということになれば地方は資金繰りに窮してしまします。日本全体としてみれば強い地域で稼いだ資金を弱い地域に分配することによって日本国全体のバランスが取れるわけです。

 ユーロは通貨統合ですが、政治統合を行っていませんから財政政策は各々の国が責任を持って行わなければなりません。通貨が一緒でもユーロ圏各国の経済事情は違います。経済政策の最もポピュラーなやり方は景気が悪くなれば金利を引き下げるとか、ないしは通貨安政策をとることです。それによって輸出の拡大を図り、経済を活性化させようとするのが一般的です。現在の日本でもアベノミクスが始まってから円安に動いた関係で輸出産業が潤って日本全体の経済の活性化の流れを作り出しました。金利政策や通貨政策を行うのは国として当然の政策でもあるわけです。

 ところがユーロ圏では通貨が一緒ですから各々の国が自国の経済情勢に合わせた経済政策を行うことができません。本来であればギリシアのように極端に経済が悪化した地域においては大胆な財政政策で公共事業などを増やしたり、ないしは通貨安政策をとってインフレ気味の経済に誘導すると共に輸出が有利になるように仕向けるわけです。かような経済政策のイロハはあるわけですが、ギリシアの場合はユーロ圏という大きなエリアに入っていますから、独自の経済政策をとることができません。ゆえにどうしてもドイツのような競争力を高める政策で苦しみに堪えて成長力の向上を目指していかなければならないのです。南欧のエーゲ海のそばでのんびり育ってゆったり生きてきたギリシアの人々にとってドイツ風の生き方を強要するのもむごいと言えるでしょう。

回復の兆しにが見えてきた矢先に

しかしギリシアはユーロという通貨を持つことによってインフレは起きず、ユーロという通貨圏にいることでかつてはギリシア政府はその後ろ盾で信頼され、オリンピックなどのインフラ投資の時には信用力が増して多くの投資を呼び込むことができて潤ってきた経緯もあるのです。

 いわばギリシアは2010年のギリシア危機が生じるまではユーロ圏に入ったことでの恩恵だけを大きく受けてきた立場と言えるでしょう。ところがギリシアの放漫財政が明らかになってギリシア自体に改革を求められ、ユーロ圏各国、特にドイツなどの北部欧州各国からの支援に依存するようになってからは、資金、いわゆるお金を借りるわけですから、お金を貸す方の北部欧州各国の意向には逆らえない立場になってしまったわけです。そしてギリシア人の特性でもあるのですが、ますますその借金に依存していく形となっていきました。そして借金の額が膨大に膨れ上がっていくうちに、ますますその借金の重みに押しつぶされそうになり、ギリシアは国としての産業が観光くらいしかありませんので、経済がなかなか活性化できないという袋小路に陥っているわけです。それでもここ数年の緊縮策がある程度効果を発して昨年には経済が回復基調となり、やっと自力で市場において国債を発行できるまで回復しつつあったのです。あのギリシアが国債を市場で発行できるようになった、と市場関係者が驚いていたほどの苦しいながらも回復ぶりを見せていました。その矢先に選挙で急進左派政権が誕生してにわかにギリシアの再度の混乱が始まってきたというわけです。

国民を魅了した尊厳という言葉

 ギリシア国民がチプラス氏に魅力を感じるものわかります。若くて勢いがあり、ともかくも<尊厳を持って生きよう、失ったギリシア人のプライドを取り戻そう>という呼びかけがギリシア人の心に響いたと思います。人間は借金だらけになって、借金ばかり頼む立場になってしまうと、次第に貸し手の言うことばかり聞くしかなくなりますから、当然立場が

弱くなり思ったことも言うことができず卑屈になってしまいます。ギリシアはユーロ圏に対して借金ばかり頼む立場となって毎年恒例のように債務交渉を行う立場となり、そのたびごとに望みもしない緊縮策を受け入れざるを得ず、それによって経済はますます縮小していって生活が苦しくなる悪循環に陥ってしまったのです。余りに長く借金の交渉を続けているために国民も知らぬ間に卑屈になっていたと思います。そこに若いチプラス氏が現れて<失った尊厳を取り戻そう>と言うのですから魅力を感じるのは当然でしょう。

 チプラス氏や財務大臣だったバルファキス氏は今までのギリシアの政治家と違ってユーロ圏各国の首脳に対して堂々と対等の姿勢で交渉に望み、決して譲ることなく、ギリシアの現状を訴えて有利な条件を勝ち取ろうとして真っ向から交渉に挑むわけで、その様子もテレビなどで伝えられるわけですからギリシア国民としてはスカッとして気持ちがよかったと思います。今まで常に煮え湯を飲まされるように最後はドイツをはじめとするユーロ圏各国の要求をいやいや飲み続けてきたわけですから、今回のチプラス、バルファキスのコンビは決して妥協することなく最後まで抵抗を続けたわけですからギリシア国民が今までのたまりにたまったうっ憤を少しでも晴らす気持ちになっていったと思います。まさに彼らに将来を託すことでギリシア人としての尊厳を取り戻し、国の将来に希望が持てるようになった気持ちでしょう。若者の多くは現在のチプラス政権を圧倒的に支持しているようですが、<尊厳><プライド>に訴えたチプラス氏の戦略の勝利だったと思います。

覚悟なき煽動

 プライドを持つのは大事なことですし、強力な力を有するドイツやEUに対して一歩も引きことなく対応して、かっこをつけるのはいいですが、それだけいいかっこをするということはそれだけの勝算や戦略があってのことで、チプラス氏は当然ユーロ圏首脳と全面的に対立していくわけですから、その結果どういう可能性があるか、その結果ギリシアという国がどのような状態に陥っていくか、という覚悟を持って対応しているはずと思っていました。ギリシアが<尊厳><プライド>を失うこととなったのはユーロ圏にしがみついてユーロを死守しようとしているからです。自らの力がないのであれば、ユーロは放棄して元のドラグマに返り、身の丈にあった暮らしや経済政策を行うのが筋でしょう。そこに至る道のりは苦難の連続でユーロから離脱する瞬間、その後2-3年は激しいハイパーインフレに突入していくのは当たり前のことです。ユーロ圏首脳と対等の立場で喧嘩をすれば、当然決裂の可能性も高いわけですから、決裂すれば元のドラグマに戻るしかありません。思い切って自己主張した以上はその覚悟があって交渉に臨んだと考えるのは普通でしょう。6月末にギリシアとユーロ圏との交渉が妥結しそうになった時に、敢えて国民投票を勝手に決断したのはユーロ圏との決定的な喧嘩を行っても、最終的にユーロ圏離脱、ドラグマ復帰のハイパーインフレ突入も覚悟の上での決断と考えるのが普通です。であれば指導者としてのチプラス氏は一方でドラグマ導入の準備も固めつつユーロ圏との最後の交渉に臨むべきだったと思います。そしてチプラス氏は国民に<尊厳を持って生きるということはとても苦しい道のりであって、ユーロ圏との交渉も決裂して脱退の可能性もある>とはっきり明示すべきだったでしょう。チプラス氏は国民にユーロ圏から要求される緊縮策に断固反対するように呼びかけました、そしてその選挙の結果は反対票が6割を超えることとなりギリシア国民全体としてユーロ圏離脱も覚悟していると天下に示したものとなったのです。一連の流れを主導してきたのはチプラス氏その人です。

 ところが驚いたことに選挙で勝利した後からチプラス氏は今度はユーロ圏に戻りたいと言い始めたのですから開いた口が塞がりません。戻りたいというのが交渉上の駆け引きならわかりますが本気でユーロ圏から離脱するのは嫌だと言うのです。こんなことが通用するのでしょうか、自らが主導して国民に緊縮策に反対するように訴え、無用な選挙を行って国民の気分を高揚させ、プライドを煽っておいて、いざ交渉時にはユーロ圏を離脱する覚悟も準備もないのです。

国民の努力が台無しに

 当然メルケル独首相はじめユーロ圏各国の首脳は一連のチプラス氏のパフォーマンスとギリシア国民を翻弄した国民投票の実施とミスリードに怒っています。チプラス氏がユーロ圏を出るつもりでそのような行動をとってギリシア国民に対して責任を持ってリードしていくならそれはそれですが、ここに至ってチプラス氏はギリシアはユーロ圏を出たくないし、そのような事は国民に委託されていないというのです。まさにこのいい加減さ、戦略のなさ、先を考えない愚かさはギリシア全体を象徴しているように思いました。一般の国民が緊縮策はしたくない、でもユーロに残りたい、と考える気持ちはわかります。しかし政党の指導者で一国の首相にまで上り詰めたチプラス氏がこの一般のギリシア国民のように、緊縮策はしたくない、でもユーロ圏に残りたい、最後の最後でどうすればいいのか、という交渉になるとは驚いて本当にあきれました。

 結局、チプラス氏はドイツをはじめとしたユーロ圏の要求をほとんど丸のみしたのです。もちろんその要求は6月末の時点よりも更に厳しくなっています。6月末時点から銀行機能がストップしてギリシア経済が更に大きく悪化したわけですからその変化に対応するためで当然のことでもあるわけです。チプラス氏は今まで一貫して非難してきた年金カットや増税、歳出削減、など全て受け入れて15日まで法制化しなければなりません。更に国有資産はEU管理下へ移行されその売却はギリシア政権の手を離れることとなるのです。

 いったいチプラス政権とは何だったのでしょうか、ドイツのショイブレ財務相はチプラス政権について何もやってこないで今までのギリシア国民の努力を台無しにしただけだった、と述べていますが、今回の合意を見ればユーロ圏側の言いなりに全てなっているわけで、チプラス政権発足以前より更に酷い緊縮策を強要され、且つ監視下に置かれることとなるのです。これではギリシア国民は浮かばれません。経済もよくなるはずもありません。ギリシアは一時的にユーロ圏離脱は免れたものの、更に国内の混乱は増していくことでしょう。ギリシアの先行きに光明は見えません。