<財政政策が物価水準を決める>と言われると何か奇異に感じる人が多いと思います。物価動向を左右させるのは金融政策であって、今でも日銀は物価目標を達成するために奮闘し続けているわけです。黒田日銀総裁は<2%の物価目標を達成するまで緩和政策を続ける>と明言しているわけです、それでも日本の物価は2%上昇するにはほど遠く日銀が目標達成に苦慮しているのは国民のほとんどが知っています。

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「物価水準を財政政策によって決めていく」という理論

 その物価目標達成には<財政政策こそが役に立つ>という新しい考えが出てきました。実はこの物価水準を財政政策によって決めていく、という理論が現在の世界の潮流になろうとしているのです。この<物価水準を財政政策が決める>という<物価水準の財政理論(FTPL)>は今や世界中で注目され、新しい政策的な試みとして実行されつつあるわけです。そしてこのような流れが米国債10年物、米国の長期金利、そして世界の金利を押し上げつつあり、それが巡り巡って日本や欧州の金利も上昇基調に入ってきているのです。

 ではこの<物価水準の財政理論>とは何でしょうか? これは米国プリンストン大学のクリストファー・シムズ教授によって提唱されたものです。シムズ教授は2011年にノーベル経済学賞を受賞しています。シムズ教授はゼロ金利下で効果がない金融政策の代りとして財政政策が有効であると述べています。具体的に言いますと、日本のようなデフレ状態でゼロ金利状態にある国において、いくら金融政策を行っても、金利が下がることで人々の預金からは金利収入が取れなくなるし、金融機関は金利がなくなって儲からなくなるというわけで、結局経済の悪循環でデフレから抜け出せなくなっている、というのです。であるならばそのようなゼロ金利というデフレ状況下では例え、財政の悪化を招いたとしても財政支出を拡大することがデフレからの脱却に繋がる道であるというのです。

 このような理論が注目されるようになったのはここまでの様々な世界における金融政策の試行錯誤があったからです。これはこのレポートでも何度も指摘してきましたが、日本でもそして世界でも金融政策が完全に行き詰って、経済活性化のために何か新しい手法を必要としてきたという背景もあります。日本は2000年から量的緩和、ゼロ金利を断行していて昨年にはマイナス金利まで導入しましたが、この間一向にデフレ脱却に至ってなく、政策効果が出てきません。一方欧州でも量的緩和は限界になりつつあり、マイナス金利導入までしていますが、政策的には思ったほどの効果は出ていないわけです。世界はもはや低成長、低金利が当たり前というムードになっていて、何とかこの停滞した状態から脱したいという声に溢れているわけです。

 そのような中、昨年9月には日銀が総括的検証という形で、実質的に金融政策の限界を内外に明らかにした形となりました。その後米国ではトランプ氏勝利ということで、財政・政策に対しての期待が大きく盛り上がって金利が急騰、経済成長が予想以上に高まるのではないか、という期待が大きくなってきたのです。そのような中、欧州でも量的緩和の限界が明らかになってきて、実質的に量的緩和の縮小という動きが出てきました。日米欧とももはや金融政策に対しての期待は大きく後退して各中央銀行は経済政策の主役の座を降りたのです。そして中央銀行に代わって国が直接的に資金を供給する、いわゆる財政政策の方に重点が置かれ、ここに大きく期待が集まるようになったのです。

 そのような中、このような財政拡大の動きの理論的主柱として、このシムズ理論が大きくクローズアップされるようになってきたというわけです。では財政政策が何故、物価動向を決められるというのでしょうか? 従来は貨幣数量説といってお金の量を増やすことによって物価水準を高めることができる、という理論が盛んでした。安倍政権ブレインであるエール大学名誉教授の浜田内閣参与などは<デフレはマネタリーな現象であるからマネーの量を拡大することによってデフレから脱却できる>と述べていました。このようなマネーの量を増やせばデフレからの脱却が可能との考えに基づいて、日銀もしきりにマネーの供給量を増やしてきたわけです。ところがマネーは日銀の当座預金に溜まる一方で、世の中に出回ることはありませんでした。一方、異様な低金利のために人々は金利収入を取ることもできず、消費が盛り上がらないということもあります。昨年はマイナス金利まで導入したものの、明らかに失敗で人々のマインドは却って委縮していまいました。金融政策は完全に袋小路、実質限界に追い込まれたのです。

 そこでシムズ理論の登場です。シムズ理論によると、例えゼロ金利でも財政政策を行い続ければ究極的に物価上昇を引き起こすことができるというわけです。面白いことにデフレはマネーの量を増やせば解決できると強く主張していた浜田内閣参与は、このシムズ理論にふれて自らの考えが変わったというのです。まさに目から鱗が落ちたということで、今までは金融政策一本やりだった浜田内閣参与は変節して財政政策に重きを置くシムズ理論に同調しているのです。

<物価水準の財政理論>シムズ理論

 シムズ理論によれば、財政政策を行う、更に行う、更に行う、と人々が思うようになると、結局は最終的に財政赤字が膨らんで借金は返せなくなると考えるようになって、人々は将来のインフレ到来を確信するようになるというわけです。私は以前から<これほど膨大な日本の借金が返せると思っているのですか? そんなことあるわけがないでしょう! 借金は将来のインフレによって返すのは明らかではないですか! 普通に考えれば子供でもわかることです>と言い続けてきましたが、シムズ理論はある意味、国民の大多数がこのように日本の借金など返せるわけがなくていずれインフレにして返すことになるに違いない、と思うような状態になれば自然にインフレになっていくというわけです。だから日本においても財政再建など気にせずに金融政策でなくて財政政策を続けろというわけです。要するに財政政策を無節操に実行することによって財政赤字が返済不可能と思わせるようにまで持っていって人々のインフレマインドを高めるというわけです。実際国が際限なくいくらでもお金を供給するような、出鱈目な財政政策を続ければいずれインフレになることは明らかですから、極端に言えば、節度を持ちながら基本的には財政政策を拡大させろ、というわけです。もう金融政策はこのままでいいから、財政を吹かすだけ吹かせということです。学者的に言うと<節度ある形で財政を不健全にしろ>ということです。

 かように現在、そしてこれからの世界の経済政策の潮流は財政拡大であり、まずは米国から始まって財政の拡大による景気回復という政策が取られていくことでしょう。ある意味トランプ氏の登場もかような歴史的な流れに沿った必然とも言えるでしょう。そして欧州でも現在急速にメルケルドイツ首相の力がなくなってきているのですが、これはある意味、ドイツの目指している緊縮的な経済政策が限界にきていよいよ財政を大きく膨らませるような方向に舵を切っていくという風になっていくでしょう。メルケル首相の力が衰えるのと同時に大衆迎合的な政治家が人気を集めるようになってきています。彼らの主張は移民排斥と共に財政の拡大政策です。そしてかような動きは当然、日本でもゆっくりと進みつつあります。既に日本政府は2回に渡って消費税引き上げを延期していますし、今後もいつ延期した消費税が引き上げられるかわかりません。財政再建とは口先ばかりで実質予算は膨らむ一方です。世界的な流れを受けて日本でも財政拡大の声が盛り上がってきています。かようにもはや財政を使って次々に資金を供給しろという声が世界の声になりつつあるわけです。

 かような中、シムズ理論とは違いますが、それ以上に激しいヘリコプターマネー、ないしは財政ファイナンスの話が堂々と提言されています。今月初旬、英元金融サービス機構長官であったアデア・ターナー氏が投資家ジョージ・ソロス氏と来日しました。この二人は安倍首相、麻生財務大臣、黒田日銀総裁と相次いで会談したのです。この中でターナー氏は<日本は内需を盛り上げる必要がある>と説いて、その方策として<財政政策が欠かせない>というのです。そして<日本政府のやろうとしている財政健全化策は非現実意的であり、いわゆるヘリコプターマネー政策に踏み切るべき>と提言しました。既に日銀は400兆円に上る日本国債を保有してしますが、ターナー氏によれば<これを現実的な問題として将来に渡って市場で売却することは不可能である>と述べています。現在米国FRBは金融政策の正常化として短期金利の引き上げを目指して1昨年と昨年の12月に各々0.25%ずつ金利引き上げを行いましたが、その一方で量的緩和によって大量に購入した住宅ローン担保証券や米国債は一斉市場で売却していません、売却どころか償還になったものさえ、再び資金を出して乗り換えている状態です。実質量的緩和を縮小することができないのです。FRBが量的緩和で購入した住宅ローン担保証券も米国債も一切市場に出回っていないわけです。金融の正常化と言いながらFRBの購入したこれら債券は市場に出すと市場が崩れてしまう(金利急騰)可能性が高いので市場に出すことができないわけです。かように量的緩和の後始末である金融の正常化は極めて難しいのが実体です。日銀はFRBの何倍もの国債を購入しています。FRBでさえこれだけ苦労しているわけですから日銀など量的緩和の後始末はとてもできるはずがないのです。毎回指摘していますが日銀の異次元緩和政策も行ったはいいが、終われない政策なのです。

日銀が保有している日本国債について

 ターナー氏はこのような現実的な問題を指摘してその解決策を提言しているわけです。どうせ、日銀の購入した日本国債は将来に渡って市場に売却、ないしは償還することなどできるわけがない、そんなことは明らかです。であるならば、その事実を今から認めて、将来に向かっての政策、いわゆる異次元緩和の出口策を現実的な形で国民に示すべきだというわけで、これは極めて真っ当な意見なのです。

 そしてその方策としてターナー氏が主張しているのは、日銀が保有している日本国債について、これを<無利子の永久債として計上して、実質的に日銀のバランスシートから消し去る>ことによって、日本国の借金をチャラにすればいいというのです。国民はいずれ借金を返さなければならないので、将来どうなるかわからないと考えて、現在思い切った消費行動がとれない、であるならば、ここで声高らかに日銀は日本政府の借金をチャラにしました、と宣言することによって、日本国民にもう借金は返す必要がなくなったのだ、これで安心してお金が使える、という雰囲気を作り出した方が得策であるというわけです。この日銀の持っている日本国債の何%をチャラにするという決定をする権限を日銀の政策委員に与えてはどうか? と提言しています。まずは日銀の政策委員が日銀の保有している日本国債の20%程度をチャラにする、という決定をすればどうか、と提案しているのです。

 ターナー氏によれば、日本国で1000兆円以上に膨らんだ借金は誰が考えても返せるわけなどなく、日銀が国債を市場で売却するのは現実問題として不可能なのだから、素直にその事実を認めて、国民にごまかさないで借金を償還していく、ないしはチャラにしてインフレに誘導していく道をはっきり提示した方が得策だ、と言うことです。私は全く同感ですが、この真っ当な考えに投資家のソロスも一緒についてきているところも興味深いところです。

 いずれにしてもシムズ理論や、アデア・ターナー氏の提言も同じですが、要するに日本は膨れ上がった借金はもう返さないわけだし、いずれ返さないという方向がはっきり出てくる時がくるわけです。そして徐々にインフレ気味になるか、何処かで一気にインフレ気味になるか、二つに一つしかないわけです。現在多少インフレへの流れが始まりつつあると思っていいでしょう。この流れは日本から始まったわけではないですが、世界ははっきりと財政政策重視へ、そしてそれに伴って金利上昇、デフレからインフレへ流れが始まってきました。もちろんトランプ政権の打ち出す様々な政策の中で保護主義や世界的な経済の混乱が生じる可能性も高いですから紆余屈折もあり一直線にはいかないでしょう。ただ世界はもう金融政策は脇に置き、今後大規模に財政政策を行っていくという基本的な流れ、根本的な流れは決まってきたと判断しておくべきでしょう。

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