<円安、ドル高になったとしても、それ自体日本経済にとってマイナスになることはない>黒田日銀総裁は実質的に円安を容認する姿勢をみせ、着実に回復している米経済を考えれば<ドルが強くなっていくのは不思議ではない>との見解を示しました。内閣官房参与の浜田宏一・米エール大学名誉教授は<円安は更に進みそうに見受けられる>との見通しを述べ<円安は企業収益、設備投資、税収、雇用を押し上げる>としています。

政府は円安のメリットを強調

 一方政府サイドもみると、これも円安歓迎のコメント一色です。甘利経済再生相は日本の企業は海外移転が進んでいるために円安で輸出自体が増えてこないことを認めながらも円安進行によって<企業の売上高に対する利益率は過去最高になっている>と円安のメリットを強調しました。また西村内閣副大臣も円安のメリット、デメリットを比較しながらも<円安はマクロでみれば、日本経済全体にとってプラスであることは間違いない>と述べたのです。まるで判を押したかのように一致して日銀や政府要人から円安歓迎のコメントが相次いでいるのです。

 政府や日銀は明らかに一向に盛り上がらない景気を刺激するために円安を容認する姿勢を見せてきたと言えるでしょう。今年2月から8月中旬まで概ね101円台から103円台で推移してドル円相場はかつてないほど変動しない日々が続いてきました。活況感を失った円相場に投資家は失望、為替相場から退却していった投資家も多かったと思います。それがここにきての激しい動きを見て一気に大勢の投資家が参入してきた模様です。1か月前は為替相場の話など少しも話題にならなかったのに、今では円相場は花盛り、<年内の110円>との勇ましい予想が出てきています。

 これらの動きをみると、ここで円安への動きが様々な思惑を下にヘッジファンドや政府サイドから仕掛けられてきたかのように感じます。今週のFOMC開催を前にしてそういう思惑はあるとは思います。しかし相場が円安に振れる一番の要因として大きな円安トレンドが底流に存在していることを無視することはできません。私は一貫して円安トレンドは不変であり、ドル投資を徹底的に行っていくべきである、と強く主張してきました。現在の円安への動きは急激ということでニュースになっていますが、この程度の円安などまだ序盤にしかすぎません。いずれ世間を震撼させるような止まらない円安に発展していくことでしょう。今回は今週のFOMCを前にして投機筋がドル円相場を意識的に円安方向へ仕掛けた動きが相場に急激な変動をもたらした直接的なきっかけです。そしてその動きを日本政府、日銀も歓迎して利用している構図です。しかしこの円安はいずれ止まることなく、もっと大きな怒涛の波となって120円、150円、200円と向かう動きとなっていくでしょう。

円安を巡るいくつかの要因を追ってみましょう

 一つは米国経済の順調な回復による、近い将来の金利引き上げ観測です。日本はまだ金融緩和の最中ですから、日米の政策は全く逆を向くわけで、結果的に日米の金利差が更に拡大していくのは必至です。そうであれば資金は金利のつくドルで運用した方がいい、ということで自然に円からドルへと資金が流れるわけです。米国経済は日本や欧州や他の新興国に比べて順調に推移していることは疑いなく、この傾向は加速していく一方です。

 またGPIFの資金運用の見直しも円安への思惑を広げました。GPIF改革に積極的だった塩崎氏が厚生労働相に就任したことも円安に拍車をかけた形です。

 また日本の貿易赤字定着という深刻な問題も捉える必要があります。日本の貿易構造は完全に変わり、今や日本は恒常的な貿易赤字国家に変容してしまいました。今年上半期の貿易赤字は7兆6000億円となり過去最大、昨年同期の4兆8000億円から貿易赤字は58%も増えています。原発停止によるエネルギー買い付け代金の拡大が主因であることは明らかですが、もう一つ日本の輸出競争力が衰えていることも否定できません。

既にお家芸と言われた電気産業の輸出はほとんど消え去ったかのようです。今や薄型テレビやデジタルビデオの生産などはほぼ海外勢で占められています。パナソニックはプラズマテレビの生産から撤退、シャープは液晶薄型テレビの生産から撤退、世界一と謳われたシャープの亀山工場をはじめ、リーマンショックの前あれだけ大規模な設備投資で沸かせた姿は見る影もありません。これら家電の国内の生産水準の変化をみると驚愕します。国内での薄型テレビの生産は2010年を100とすると2014年7月の時点では3.7という水準で、薄型テレビの生産は壊滅したことがわかります。またデジタルビデオも2010年を100とすると現在は4.5という生産水準でこれも壊滅状態です。また売れている携帯電話はどうかというと、これも2010年の100に対して現在は26.8という水準にしかすぎません。かように電気産業の家電の国内生産は劇的に減ったのです。これら国内の家電メーカーは国内の工場を断腸の思いで廃棄したわけです。多大な犠牲と共に膨大な資金を投じて廃棄した後でいくら円安が来たと言っても、再び設備投資などできるわけがありません。

 一方、電気と違って好調な自動車産業はどうか、というとこれも輸出という面では全く当てにできない状態になりつつあるのです。トヨタやホンダ、日産など自動車大手が海外生産に大規模にシフトしてきたことは良く知られていますが、一方でこの生産に絡んで日本からの自動車部品の輸出は増えていました。電気でも自動車でも日本製の部品は必要欠かせないものでありこの輸出が途切れることはないと思われていました。ところがこれも今回の円安局面では伸びていないのです。やはり部品メーカーも工場の海外移転を行ってきたということもありますし、今は汎用品の使用が広がって現地に近いところから部品調達というケースが増えているわけです。また日本では工場を運営するにも賃金が高いうえに人が確保できない、という構造的な問題も生じてきました。人口減少で人手が確保できないのです。

例えば日本の製造業の雇用従事者の数をみると、ピークであった1992年の1600万人から現在は1000万人まで減少しています。20年ちょっとで4割近い労働者の減少です。これでは企業も簡単に日本で大規模な設備投資するわけにもいきません。元々国内での売り上げは頭打ちになっているわけですから当然、海外に設備投資という選択をするわけです。こうして工場は海外に移転し、国内には新たに作らないわけです。かように生産設備がなければいくら円安になっても生産は伸びず輸出が伸びる道理がありません。

円安のメリットを享受することができない

 こうなると日本経済の姿として為替の円安が実は非常に厄介な事になります。円安になっても輸出が増えなければ、円安のメリットを享受することができません。普通は日本のような国は国内に大規模な生産設備を有して輸出環境が好転した時に生産を増やし、更なる設備投資をして生産力を増強し、その過程で景気は盛り上がってくるわけです。これが今までの日本の景気回復の典型的なパターンでした。資源がない日本は技術に頼るしかなく、その技術力を磨いて世界に様々なものを売ってきたわけです。また新興国でも資源を有している国はその資源を売ることで国の経済を成り立たせていますが、例えば、その国の通貨が下がっても資源を売却することでドルベースの手取りは増えるわけで、やはり輸出するものがあれば、当然国として通貨安の恩恵を受けるわけです。

 ところが日本のような技術で食べている国において輸出余力がなくなれば、通貨が安くなってきたときに、輸出拡大というメリットが享受できず、結果的に通貨安による物価高というデメリットだけを受けることになりかねません。例えば資源もない、技術力もないような国が通貨安に見舞われれば、その国は輸入物価高によるインフレに苦しむだけということにもなりかねません。日本の場合は電気のような主要輸出産業が生産設備を廃棄しましたし、自動車産業にしても今後設備投資する予定もほとんどないわけです。また今後も人口減少や賃金高を見越されて企業が大規模工場も作らないとなれば、円安という通貨安はデメリットだけを受ける展開になる危険性が多分にあるわけです。

現在日本は失業率が3.8%ということで、先進国でまれに見る実質完全雇用に近い状態となっています。アベノミクスで盛り上がった景気であっという間に人手不足が深刻化してきたのです。牛丼のすき家や居酒屋の和民は人が確保できず、営業がままならない状態となってきたことは広く知られています。これらデフレの時に通用したビジネスモデルが、インフレになりつつあって人手不足がはっきりした現状では通用しなくなっているわけですが、この事象は日本全体の問題でもあるわけです。建設現場で工事が一向に進まず入札辞退が相次いでいるのも人手不足が原因です。人が確保できなければ経済の拡大しようがありません。もちろん労働のミスマッチということはあるとは思いますが、しかし人口減少という根本的かつ深刻な問題があって、それが日本の潜在的な成長力を押し下げているのです。

この潜在的な成長力が下がっていることはある意味致命的です。潜在成長力とは簡単に言えば、日本にある人、物、資本などをフル活動させた時点での成長力です。ですから潜在的な成長力以上の成長は難しいわけです。いわゆる成長力を高める政策がアベノミクスの第3の矢、成長戦略なのですがこれが一向に進みません。

アベノミクスで失業率が3%台に到達したことは日本では実質的に完全雇用になっているとも言われています。こうして潜在的な成長力の限界に達しつつある日本で、円安が加速すれば、経済の成長率が上がらずにインフレだけが生じてくるという局面に入ってくる可能性が高いわけです。

インフレ傾向が顕著

今までのビジネスモデルではすき家や和民などは賃金を大幅に上げなければ成長、拡大できません。建設業界などははっきり賃上げを行ってその上で利潤をしっかり確保して、それを入札価格に反映させることで利益を出すようになってきました。結果的に建設費は鰻登りです。いわば建設業界では円安による資材高と共に人手不足からくる人件費の急騰という構造的な要因が相まってインフレ傾向が顕著となってきたのです。今後この建設業界で起こっている動きが多くの産業分野に同じように波及していくと思われます。そしてそのインフレ率は政府の発表する消費者物価3.3%上昇という程度のものではありません。建設業界ではところによっては人件費の2倍3倍というケースも出てきているのです。

このような状態で更に円安が加速してきたということはいよいよ重大な注意が必要な局面が近づいてきたと思うしかありません。確かにやむなく賃上げという業種は今のところ建設業界をはじめとする少数の業種かもしれません。しかし円安が加速していけば当然輸入物価の上昇を引き起こしてくるわけですからこの影響は全産業に及ぶはずです。しかも人も工場も目いっぱいなため生産を伸ばすことができず、結果的に輸出が伸びないとなれば、最終的にただ物価が上昇するだけという形にもなりかねません。

東京商業会議所が中小企業を対象に行った為替に関してのアンケート調査によれば、円安のメリットが大きいと答えた回答が11.9%に対し、円安のデメリットが大きいと答えた回答が49.1%に上ったということです。

日銀は何としても2%の物価目標死守ということにまい進しています。ここにきての円安もこの物価目標達成のためには追い風となりますから政府も日銀も黒田総裁の発言のように円安を歓迎しています。しかしじわじわ日本は止まらないインフレに向かって進んでいるような気がしてなりません。今の円安は政府や日銀が望んでいることなのでしょうが、果たして彼らの思惑通りに経済も活性化して物価も上昇、それと共に程よい賃金上昇が続くという経済の好循環が訪れるのでしょうか? 庶民は既にこれ以上の円安に警戒感を示してきています。一方で円安を好感して株式市場は上がり続けています。私は円安も株高も単に止まらないインフレの到来を予見して動き出したとしか思えないのです。