<ここ数日間、円相場は荒い動きがある。市場の動きを注意深く見守っていきたい>G7に参加していた麻生大臣は加速してきた円安の動きに対してけん制発言を行いました。従来は円安への動きを歓迎し続けてきた日本政府ですが、最近は少しトーンが変わってきたようです。原油安が進んで消費者物価の上昇率は日銀の目標としている2%にはとても届かず前年比でほぼ横ばいという有様ですが、食料品など生活必需品については明らかに値上がり傾向が顕著になりつつあります。これ以上の円安については政府も当然警戒感を持っているわけです。

円相場はダイナミックな動きは影を潜めていました。

 それにしてもここにきての円安は多少の唐突感があったようです。今年に入ってからドル円相場は非常に穏やかで昨年末のようなダイナミックな動きは影を潜めていました。それが円安方向へ突如動きだし、5月26日今年の安値122円04銭を抜くと一気に加速、5月28日には節目として大きな抵抗ラインとみられていた2007年6月につけた124円14銭の安値を抜いて124円46銭まで入り、ついに12年半ぶりの安値となったのです。穏やかに見えた円相場に何が起こったのでしょうか? そしてこの背景は何でしょうか? 先行きを予想してみましょう。

 相場の世界では節目を抜くと抜いた方向へ値段が一気に加速するというのは当たり前の動きで今回、今年の安値、また2007年の安値を抜いた時点でこのように円安への動きに弾みがつくのは当然の流れです。まして、多くの投資家がここでの円安の動きは起こらないだろうと予想していましたから余計にポジションの調整や手じまいなどで値幅が拡大して動きが大きくなるのも仕方のないところなのです。

 結論的に言って今回の円安が昨年末のような短期的に劇的な円安への変化をもたらすとは思いません。しかし基本的に円安方向への動きは不変であり、今後もこの大きな円安というトレンドが継続していくという見方は確認しておくべきでしょう。

 まずはここに至る推移をみていきましょう。今年に入ってから円は決して弱い通貨ではありませんでした。今年の主要10通貨の動きを比較してみれば、一番強い通貨はスイスフラン、そしてドル、次いで英ポンド、次に円と続くのです。昨年までは際立った日本の量的緩和政策で円が主要通貨の中でも売りターゲットとなっていましたが、何度かこのレポートでも指摘してきたように今年からはユーロ圏をはじめとして世界各国がまるで通貨戦争のように量的緩和やマイナス金利の導入などで自国通貨安を目論んできた関係で、相対的に円売りの圧力は収まってきていました。

日本の貿易赤字や経常収支の悪化も劇的に改善されつつ

 また円安のもう一つの大きな要因であった、日本の貿易赤字や経常収支の悪化も劇的に改善されつつありました。特に今年3月の収支には大きな変化があったのです。日本の貿易収支は東日本大震災以降、原発がストップした関係で、LNGを中心とした燃料輸入額が爆発的に増え続け、これが貿易収支を悪化させて日本の貿易収支が恒常的に赤字化していたのです。それが今年3月、2年9ヶ月ぶりの黒字となりました。4月に再び赤字に戻ってしまいましたが、今までとは明らかに傾向が変わってきたようです。日本にどのくらい資金が入ってきたか図るにはこの貿易収支と共に資本取引を加味した経常収支でみる必要があります、経常収支を見ることによって日本の状況がよりわかりやすくなりますが、この経常収支は東日本大震災前の2010年は19.4兆円の黒字でしたが、震災後減りに減り続け昨年は何と2.6兆円の黒字まで85%も減少していたのです。経常収支が赤字になれば国債のファイナンスが難しくなるというぎりぎりのところまで日本は追い込まれていたのです。この経常収支が3月は貿易収支の黒字化が寄与して単月で2.8兆円の黒字となりました。昨年1年間の経常収支の黒字が2.6兆円ですから、これをたった1ヶ月で凌駕するまでに回復してきたのです。当然これらの動きが円相場に刺激を与えないわけがありません。円相場は貿易収支や経常収支などの日本に出入りする資本勘定で考えれば当然、相場が円高方向へ動いてもおかしくない状況だったのです。しかも3月末からは欧州発の債券安、株安、の世界的な流れが生じてきたのです。日本でも当然この流れに巻き込まれ、今までのポジションを解消する取引が活発化したのです。そこでは今まで買われていた株を売り、今まで買われていたドルを売るという取引が世界的に活発化しました。この中では円は当然買われるべき展開だったはずですが、その混乱時でも円相場は118円台にまでしか円高方向へは進みませんでした。 

 しかしこの間為替取引については大量のポジションの調整が行われてきたのは事実です。年初から円相場の動きが低迷して、尚且つ経常収支が劇的に改善するなど円高方向へ動いてもおかしくない要因が増えていたわけですから、投資家サイドではヘッジファンドなどの大手の投資家も日本の為替投資家であるFXを行う個人投資家、いわゆるミセスワタナベ、と呼ばれる投資家も多くは円相場から離れていったのです。いわば投資家は今まで円の先安感から円売りポジションを大きく持っていたのですが、諸条件の変化からこれらのポジションを徐々に手じまってポジションをニュートラルにしてきたのです。

 例えばヘッジファンドですが、典型的な投機筋のドル円相場におけるポジションを示しているシカゴの米商品先物取引委員会(CFTC)が公表している投機筋による4月末時点でのドル円取引における円売りポジションですがわずか686億円となっていました。これは昨年末から80%の減少、アベノミクスが始まった2013年末の時点からみれば25分の1という極めて人気のない状況にまでなっていたのです。同じく日本のFX投資家、ミセスワタナベのポジションをみても円売り人気がなくなっていたのは明らかでした。QUICKがまとめたFX投資家の取引動向をみると、ドル円取引における円売りポジションが5月22日の時点では何とマイナスに転落、ミセスワタナベは円高方向へ賭けるようになってきたのです。このようにミセスワタナベが円高に賭けるということは統計開始以来、初めてのことなのです。かように円売り人気は全く離散、相場が枯れ切っていたところで今回の円安の流れが発生したのです。

 直接的には5月22日のFRBのイエレン議長の発言が相場に火をつけた形となりました。昨年までは順調に推移していると言われた米国経済も今年に入ってからドル高の影響と、特に1-3月期は寒波や港湾ストなどの影響を受けて思わぬ低迷、昨日発表になった1-3月期のGDPの改定値は前期比0.7%減とマイナス成長に陥ってしまったのです。それでも昨今、この直近の米国経済の統計数字はいい数字も出始めて、再び米国経済に対しての楽観論もでるようになってきました。ここでイエレン議長が<年内のどこかで金利引き上げを行うだろう>と発言して一気に米国の年内利上げ説が有望視されるようになってきました。そうなれば日米の金利差拡大は必至だし、ドルが他通貨に対して強くなるのも当然との見方が急速に広がったのです。枯れ切った円相場は投機筋の瞬間的な大量のドル買、円売りによって一気に円安方向へブレイクしたというわけです。

 この動きについては昨年末の日銀による追加緩和によって起こった円安の激しい動きとは区別する必要があります。イエレン発言によって起こったのは世界的なドル高です。為替相場全体に起こったことは円にターゲットを絞った動きではありません。アベノミクスが始まったから何度が激しく円安方向へ動いた局面がありました。例えば2012年11月、当時の民主党の野田首相の解散宣言から安倍内閣ができ、日銀が異次元緩和を行った2013年5月までの半年間では円相場は79円から103円まで30%も下落したのです。また昨年10月31日の日銀による電撃緩和の発表後は2ヶ月間で円相場は109円から121円まで12%下落しています。この時起こった動きはまさに円がターゲットとなった円の独歩安の動きです。今回はドルが全面的に高くなっている動きの中で円相場が安値を取ってきたもので、円固有の問題が生じたわけではありありません。現に今回の円安が進んだ間に、円は豪ドルなど一部の通貨に対しては高くなっています。かように今回の円安相場は円安というよりもドル高の動きに連動した動きとみるべきです。であれば今回の円安が短期的に余り激しい円安になっていかないことは予想されます。

 となると再び円相場が高くなるか、というとこれは違う話です。再三指摘してきたように円相場の下降トレンドは絶対的なトレンドが存在しているとみるべきです。そこでは何故今回経常収支の黒字拡大があったのに一気に円安へ進んだのか、という相場を動かしている本質的なところを捉えておく必要があります。

 本質的なところとは何か、というと円の実需の売り需要、ドルの実需の買い需要が日本においては膨大にあるという事実認識です。確かに経常収支の黒字が増えてきたわけですから一面、ドル需要は減り、円需要は拡大しているはずです。しかしながらこのような円安が起こるということは、この経常収支の改善を遥かに凌駕する円売り需要が日本国内で存在しているということなのです。

 それが日本の機関投資家の怒涛のような外債や外国株への投資なのです。年金基金や生保、銀行も含めて低金利の日本ではもはや資産運用が極めて難しくなっているのです。年金基金や生保も日本の株式投資に舵を切っています。しかし全ての資金を株式投資に回すわけにはいきません。従来、日本国債で運用していた資金については日銀による低金利誘導で全く資産が運用できない環境下になりつつあります。余りの低金利で短期償還の国債についてはマイナス金利です。これでは今まで大量の資金を国債で運用していた年金基金や生保、銀行もなすすべがありません。低金利やマイナス金利の国債で運用するわけにもいかず、日本株を思い切って大量に買い付けるわけにもいかず、勢い、海外の国債など債券投資に走るのは今までの投資スタイルから仕方のない変化と言えるでしょう。

日本の年金基金や生保、地方銀行などの資産運用の手立てとして外債が浮上

 日本の地方銀行など極めて保守的な資産運用を行いますので、まずは安全という観点から国債にという視点で、それがどうしても低金利でダメならやむなく米国の国債を購入していこうか、という判断です。こういった極めて保守的だった日本の年金基金や生保、地方銀行などの資産運用の手立てとして外債が浮上しているのです。それも急激に膨大な額で資産運用を開始しているわけです。

 例えば生保大手9社は今年4兆円に上る外債投資を計画しています。また日本の地方銀行の外債の残高は今年2月末の時点で13兆円となりました。昨年比で34%増という爆発的な伸びです。お堅い地方銀行が日本国債投資に見切りをつけて米国債など外債投資に大きく舵を切ったことがわかります。野村証券の試算によるとこれら年金基金、生保、地方銀行による今年の外債、外国株を含む外国への投資は22兆円に上るというのです。これでは貿易収支の改善からくる日本の経常収支の改善額など一気に凌駕されて為替が円安方向へ向かっていくのも当然と言えるのではないでしょうか。

 日本はまだ物価目標が達成できていません。追加緩和が話題に上る状況であってとても量的緩和を止められる状態ではないのです。しかも仮にインフレ目標が達成されれば今度は金利を引き上げなければなりませんが、その時に日本では1000兆円を超す膨大な借金がありますから金利支払いができず国債の問題が浮上してくる可能性が高いのです。かように日本ではいつ現在の量的緩和政策が止められるのか展望がないのです。当然、低金利が続くわけですから資産運用は日本株だけでなく外債など海外に大きく乗り出していく傾向は止まらないでしょう。こうして日本の資金はますます海外へと流出していく、必然的に円安傾向は止まらないのです。

 アベノミクスが始まって政府も日銀も円安へと誘導して思惑通りに円安になり、日本の景気も回復基調になってきました。政府はこれ以上の円安は望んでいないようですが、現実には政府の思惑以上の円安が進んでいます。そして以前のような速度ではないですが、今後も円安は進んでいくのです。政府は株高、円安を志向してそれが達成されつつあるように思えます。しかし望まなくても円安が加速しているように一度火をつけた相場の流れは簡単には止められなくなるのです。株高を志向した政府の思惑通り更なる株高が起こるでしょうし、まだまだ政府も株高にエールを送り続けるでしょう。しかしいずれ行き過ぎた株高になってもそれを政府は止まられなくなるのです。それが相場の持つ特性で相場の恐ろしさなのです。デフレからインフレの流れはゆっくり着実に始まっています。それは加速し、やがて怒涛のような波となって日本中を襲うでしょう。今政府の思惑通りの円安から今度は意図しない円安に向かいつつあります。デフレからインフレへの壮大な物語は静かに進行し続けるのです。そしてそのステージはまだ初期段階が進んでいるだけなのです。